卒業式もおわり・・・。

ご無沙汰しております。卒業式は無事終り、今はホテルでぶらぶらしている身です。
PCがないのでホテルにあるPCで接続中(10分/100円)
ちなみに今日のデートは、外圧によりUSJからエキスポランドに変更。まぁ楽しかったです。疲れました。もう年です。
26の夜には長野に帰って更新ができると思います。
とりいそぎ更新をば。

超期待−−デスノート


 このポップ欲しぃぃ。藤原竜也かっこよすぎ。「エレファントマン」からのファンですわー。といってもそれぐらいしか舞台知らないけどw
 てゆーかですね、監督が金子修介ですよ。神です。神降臨です。藤原竜也がライトを演じ、金子修介が描く「デスノート」。ioringにとっていてもたってもいられない状況ですよ。ガメラ5とも言える作品になるのか!?キャストを見るに「詩織」という映画版キャラが出てくるのがネックらしい。
 そろそろ漫画の方も終盤にさしかかってる予感。後編が公開される10月にはもう漫画は終了しているってことでいいのかな。それはそれで寂しい気はするけど、ズルズルのばすのはイクナイ。映画、期待してまつべし!待つべし!
 ただ、最近の流行なのかどうなのか。映画サイト、HTML版もつくってほしい。Flashウザイ。


映画版サイト
http://wwws.warnerbros.co.jp/deathnote/

京都をブラブラ。

昼頃家を引き払い、放浪の旅へ。といってもまだ家賃が残ってるんで鍵はおいらが持ってるんですが。明日、完全に引き払いですね。4年間お世話になった部屋に感謝。もう帰ってこねーぞ。
 リュックにドラムバッグにと、どこへ夜逃げするんだって風貌で、河原町三条のホテルまで。とりあえず荷物を預けて、あの界隈をぶらぶら。まず目に入ったカットハウスにて散髪。うーん、さっぱり。月末に入社式も控えてることだから、結構短めに。
 その後は映画を見に。『エミリー・ローズ』が見たかったんですが、上映時間的に変更。『シリアナ』見てきました。石油関連の重苦しい話。いや、おもしろかったですよ。3,4つのストーリーが最後に集結する、まさに“群像劇”と呼ぶにふさわしい映画でした。奥田英朗の『最悪』みたいな感じ。映画で描かれる石油企業や政官財の構造をを考えるとブラックじゃない業界ってどこにも無いよなーなんて思えてくる。え?パチ屋が言うな?ジョージ・クルーニーはボテってもやはりダンディ。おいらも太いなら太いでダンディな太さを追求すべしですね(マテ
 んで、現在某ホテルにてゴロゴロ。無料インターネットが使えるのはとても嬉しい。nyも繋がりました(バカ)。テレビを見たのも久しぶりでした。普通の寝具に横になるのも二日ぶりw
 明日は、夕方に親と合流して、荷物を預けたい。それまで何してようかなー。免許発行しにいこうかと思ったけど、時間とお金が微妙なんで22日か24日に延期。やっぱり『エミリー・ローズ』見に行こうかな。『超・ケロロ軍曹』も捨てがたいんだけども。『ホテル・ルワンダ』も見たいが、いかんせん遠い。てか映画ばっかだな。うーん。食べ歩きなんかは一人でするもんでも無いしなー。はぅ。
明日は豪華な料理が食えるので楽しみです(・∀・)

何もない部屋で読書MEMO−−広田照幸『教育には何ができないか』

雨のせいもあって、家で寝袋にくるまりゴロゴロしてると、何かデジャヴを感じる。
・・・!「フェリーか!」
以前、利用したことがある直江津→室蘭のフェリーは15時間航路です。基本雑魚寝部屋に毛布一枚。テレビはあってもノイズ。まさに今の状況を彷彿とさせる。
フェリーの上では読書が進んだものですが、まだネット回線というものがあるため、それほど読んではないけど。
教育には何ができないか―教育神話の解体と再生の試み
広田照幸『教育には何が出来ないか』2003年 三水社
論文集。いろんなこと幅広く書いてるんで章を別々に読んでもおもろい。

……(主体Aによる)「教える」という行為に対しては、主体Bの側に「学ぶふりをする」という行為の可能性がある。……「昔は学級崩壊のような現象がなかった」という議論はあやしいと思われるが、もし、今の方が立ち歩きとかおしゃべりが多くなっているとしたら、「学ぶふりをさせる」ためのイデオロギーや『権力が弱くなってきているためなのではないだろうか。「学びからの逃走」ではなく、「学ぶふりからの逃走」である。つまり、「教える−学ぶ」関係を見かけ上集団レベルで成り立たせるのは、主体Aの直接的な教授行為以上の巧拙以上に、主体Bを机にじっとさせておくための、より全般的な、あるいは社会の広い範囲で共有されたイデオロギーや、発動可能な形で制度かされた権力なのである。(P243)

ついつい“信頼性”や“クラウディング・アウト”の問題と考え直してしまう

 高度成長期を経て、「子どもを進学させたい」という夢は、ある意味で叶いすぎるほど叶えられた。家計簿とにらめっこしながら、子どもを中等教育機関へ進学させるか否かを親たちが相談していたかつての風景は、もはや忘却の彼方である。大正期の鉄道機関種の子供にとって、中学や女学校へ進学することが許されることは、天にも昇るような嬉しいことであったにちがいない。ところが、今のように誰もが進学できるようになってしまうと、子供自身にとっての<ありがたみ>はなくなってしまった。「何で学校にいかなきゃならないの」と子供たちに文句を言われる世の中になってしまったのだ。学校が果たしていた選別・配分機能だけでなく、学校という装置そのものが、すっかり魅力を失ったといってもよい。
 貧しいよりは豊かな社会の方がいいに決まっている。そうではあるが、夢が叶ってしまうことは、ずいぶんつまらないことではある。(P96-7)

データから歴史を見、そこに人間の感情を見る。データの先には人間の顔がある/あったことは忘れてはいけないこと。その感情が研究や行動の原動力になるはずと、ちょっと思う。

ブログの今後。

卒業を間近に控え、このブログをどうすっかも考えないとあかん時期に。とりあえずこの「Jewels Ocean」をつけるのは3/29が最長。30から入社式やからね。その後はどうするかだけど、とりあえずmixiへ避難。
mixiへ避難したあと、そこで日記をつけるか、新たにblogを書くかは考え中。「ぱチンコ新人日誌」みたいなブログは書きたいなーと思ってる。書くとして、そのblogとmixiを連結させるかどうか。連結させるんやったら、mixiは友達までの公開にしないといけんし。本名とか店舗とかバレてしまう(普通にblogしてたらバレそうだけど)。mixiとblogを切り離して、プライヴェートなことをmixiに、ってのもアリな気がするけど。。。。うーん。悩みどころだ。