帰省の日々 その2

パチンコに行きちょっぴり負ける。しょんぼり。
服を買う。明日はデートだ。


帰省をする旅に、凶報を聞く。むかーしお世話になった、誰かが死んでる。
芸者仲間のおばちゃん、肉屋の社長、隣の家のじーちゃん。
あぁみんな死んでいくんだなぁ、と帰ってくる度に思う。大学にいるとつい忘れがちだけど。
社会人になれば、また帰って来れなくなる。帰ってきたときに凶報を一杯聞くんだろうな。


町中のご飯やで夕飯。そこのがきんちょとちょっぴり遊ぶ。少4だとか。
DSにPSPPS2ゲームキューブを持ってたよ。すごいよままん。
嬉々としてゲームのことを語ったり、教えてくれようとしてくれるんだが、もうさっぱりわからん。
昔いろいろオトナに向かって語ったけど、多分理解してくれてなかったんだろうなか。今ならわかるw
ちゃんと遊べなかったので、ご両親の代わりに明日の夜、花火の付き添いをやることに。
思い出せば子どもの頃、どっかのにーちゃんとかが場合によっては付いてきててくれたもんな
お返しさ。理論還元さ。


お世話になった人が一杯死んでいくけど、おいらが世話する世代も確実に生まれてきている。
世代が交代しつつ、交流していく。お年玉なんかいい例だ。
ただの正月のお小遣いと思われるかも知れないけど、いずれ自分が貰ってきたものを未来に返さなくちゃいけない。
親族の子ども達、お世話になった方々の子ども達。就職しなくちゃあげなくちゃいけねーんだな。
んで、その子ども達が大きくなったら今度は、おいらの子どもたちに、、、ってつながればいいのだ。
一種の世代間倫理につながる話なのだろうか。ここには世代が閉ざされている「契約関係」は無い。
いわば過去から未来へ続く「信託」の論理がある。善し悪しはおいておくとして。


おいらはリバタリアンに憧れつつも、つくづくコミュニタリアンなんだなと思う。