MEMO

最新の『大航海』の特集が「インターネットの光と闇」ということで。
佐藤俊樹北田暁大、和田伸一郎、斉藤環鈴木謙介など情報社会論を学ぶ人たちには豪華なメンバーが。
ってことで、いくつかMEMOしとこう。
斉藤と鈴木の対談「インターネット・カーニヴァル」より(すべて鈴木の発言)

(メディア・リテラシーに関連して)たとえばブッシュ政権はこんなひどいことをしているのにメディアが伝えないからわたしたちは歪んだ判断をしてしまう。だからメディアを疑う知恵を身につけよう。(略
 このロジックはインターネットの反左派の主張に結びついている人々もまったく同じことを言っている。朝日は偏向報道をしているからメディアを疑え。そうすると、ほら韓国って嫌いな要素がいっぱい出てくるでしょう、って言うのが『マンガ嫌韓流』のロジックです。(略
 本来なら「メディアを読み解く力」というのは、メディアの持つメタ・メッセージを読解する能力ということでしょう。でもいまメディア・リテラシーというと「メディアはメタ・メッセージを持っている」という一次的なメッセージだけが流通しているんじゃないか…。その上で、メディアに対する不信が先有傾向−「やっぱりサヨは嫌いだと思っていたんだよね」っていう気分など−を満たせてくれるものに飛びつかせてしまう。(略
 ただまぁ問題なのは今だって人々は、自分の中では「色々調べた上でやっぱりマスコミは嘘をついていると判断しているのだ」と思っていることですが。(P124-6)

ふむふむ。ってことで参考URL
有権者が問われるメディアリテラシー
http://www.wafu.ne.jp/~gori/diary3/200508290122.html
いや、このサイトがそうってことじゃないっすよ。


歌田明弘の「インターネットは反・民主主義か」より。

商品やニュースばかりでなく、政治的意見さえも提供側が選択してくれるようになってきている。たとえば…(あるサイトでは)政治について言及しているウェブログが「リベラル」と「保守」にわけてリストアップされていた。(略
(そういうサイトを)同質の意見を探すためのメディアとして使うか、対立した意見に接することで自分達の政治思想をより深化させるために使うかで、まったく違った装置になる。(中略)
 異質な意見がぶつかる社会装置が機能することは、その社会が存続するための根本的条件でもあるということだろう。
 逆にいえば、形式的には民主的な報道機関と自由な選挙制度があっても、ぶつかり合いと、そうした過程を経て意見の変化が起きない社会は危機的ということだ。議会での議論が形骸化し、また、読む前から論調がわかる新聞や雑誌を、その主張にはじめから同調している人々だけが読むような社会は危うい(P168-72)。

アイタタタタ。
id:Dermassも多様な意見の持ち主として貴重である。尊重すべし。みんな耳を傾けろ!