「蘇る金狼」−P2P。

昔、日テレ系土曜9時にて「蘇る金狼」というドラマがあった。香取慎吾君主演のやつね。
見たいんですけど、どのビデオ屋にいこうが無い。調べてみたらビデオ化・DVD化されてねー。
おい、どうやって見ろっていうんだコンチキショー。
いろいろ見て回ってみると「たのみこむ」でも頼まれていたり、掲示板ではファン同士のダビングのお願いが飛び交ってたり。
悲惨ですね。このドラマだけでなく、商業ルートに乗らない作品なんか、どれもそうなのかもしれない。おいらが知らないだけで。
そんなときに見かけた言葉。
「ダビングしてもいいけど、著作権の問題とかわからないので・・・・」
やっぱりオマエがそこにいたか!
「蘇る金狼」なんかはせいぜい10年前。著作権の保護対象にあたる。
でもちょっと考えても見て欲しい。ビデオ化・DVD化さえされていない作品、商業ルートで手に入らない作品。そんなんを保護対象にしてどうするのだ。どう手に入れたらいいのだ。このような作品たちを見るためには、何らかの手段をつかって、誰かに、プライベートなつながりを持って、ダビングしてもらうことしか出来ない。なんというコストだろう!事実上「見れない」に等しいでは無いか。
そんななかP2P技術で全話手に入れたという強者もいるみたいだ。WinMXWinnyはこのようなお宝探しにも繋がる。そしておいらはその人たちを責めることも出来ないし、責めてはならないと思う。レッシグの次のような一節を思い出す。

 もう売られていない著作権材料や、ネット外での取引コストが高すぎて変えないような著作権作品にアクセスしようと共有ネットワークを使おうとする人もたくさんいる。この種の共有ネットワーク利用は、多くの人にとって一番有意義な利用方法だ。子供の時代の大事な一部だったのに、もう市販されなくなった歌が、ネットワーク上に魔法のようにあらわれる。市販されていないコンテンツの場合でも、これは厳密には著作権侵害だけれど、でも著作権保持者はそれを販売していないから、経済的損失はゼロだ−(レッシグ 2004『FREE CULTURE翔泳社:P90)

このような使い道がある限り、P2Pの未来は閉ざしてはならないし、閉ざされることも無いだろう。開発者を幇助の罪で引っ捕らえるなど以ての外だ。


著作権の保護期間が延びようとしている。保護期間があること自体は悪いことでは無いし(どれだけの期間が大切なのかは政策レベルの判断だし)、政治によって決定されてしまったら仕方がないと思う(もちろんユーザーとして出来ることは一杯あるけど)。
でも、事実上「手に入らない」現状は、それは著作権の本義に則っていない。
著作物の保護期間があると言うなら、権利保持者は責任をもってそれを(商業じゃなくてもいいから)取引ルートに載せる必要があるんじゃないか?
そうしないとこの世に生まれてきた数多の著作物・文化たちは、ただ埋もれていくだけじゃないか。そんな悲しいことってあるか?