ナショナリズム関連

よって、一切読めてません(号泣)
なんかそういや、日曜日は社会調査法のグループワーク準備があった気がするぅ。。。
キャンセルって本読もうかしら・・・・(グダグダ)
そうそう、ジュンク堂でブラブラしてたら、藤原書店の季刊誌『環』のvol.5(2001年4月)の特集が
「国家とは何か?」だった。執筆陣も多岐に渡ってなかなか(・∀・)イイ!のでは?
http://www.fujiwara-shoten.co.jp/kan/kan05.htm


そういや、A氏邸で話してるときに、恋愛と”私”(アイデンティティ)みたいな話になった。
”私”の固有性を最大の前提として認めるのがリベラリズム
テイラーのアトミズム批判や、”私”は文化的要因のせめぎ合いの中で常にゆらぎながら確立するものだ、という議論は、
昨日書いたように、リベラリズムというものを思想的陥穽から救い出すモノ。
そう考えるとおいらの中で物事がストンと落ちた気がする。
一体、「リベラリズムvsコミュニタリアリズム」って構図は一体なんだったんだ。
最近おいらが文献当たるたびに、「この二構対立では理解出来ない」とする主張ばっかが目に入る。
オマイラ学者たちがその潮流(流行)に乗ったのでは無いのか?
リベラリズムvsコミュニタリアリズム」という現代の思想的負の遺産が創り出されたことへ、オマイラはどう総括をしているんだ?