MEMO

G.A.コーエン『自己所有権・自由・平等』
固い。けどすっごい読み応えがある。すっごい精密な分析哲学を展開する。
本人も書いている通り、ごりごりのマルクス(というより社会主義)信奉者。
俗に「ネオ・マルキシズム」とか「分析的(アナリティカル)マルクス主義)に分類される人らしい。

 古典的マルクス主義者は、経済的平等が歴史的に不可避であることと、道徳的に正しいことの両者を信じていた。彼らは前者を完全に意識的に、後者を多少とも意識的に信じており、後者について信じているのかどうかを尋ねられると多かれ少なかれ回答を避ける姿勢をとっていた。なぜ平等が道徳的に正しいのか、すなわち正確には何が平等に道徳的拘束力を与えているのかに関し、古典的マルクス主義者が多くの時間を費やさなかった理由の一つは、経済的平等が歴史的に不可避であると彼らが信じていたことにある、経済的平等は到来するし、望ましくもある。そして、どのようにしてそれを可能な限り早く、そして痛みを伴わずに到来させるかではなく、なぜそれが望ましいかについて理論化するのは、時間の無駄である。なぜなら、経済的平等が達成される時期とそれに到達するためのコストは確定しているわけではないが、経済的平等そのものは、不可避だからである。(略)
 歴史は…予言を粉砕した。プロレタリア階級はしばらくの間より強大になったが、決して「大多数者」にはならなかったし、規模も能力も拡大しつづけると思われてきた資本主義的生産過程が技術的にますます洗練されることによって、プロレタリア階級は結局、減少し分断された(P7-8 傍点は下線)

ぐお、ハードカバーは文章長ぇ。この書の神髄であるノージック批判は後日MEMOろう。