読書MEMO−−本田由紀『多元化する「能力」と日本社会』

多元化する「能力」と日本社会 ―ハイパー・メリトクラシー化のなかで  日本の〈現代〉13
まだ序章しか読んでないんだが。問題意識はすごい共感出来る。
過去のhatenaのログ見てみると『ニートっていうな!』のレビューの方がおおかったな。

「ポスト近代型能力」("人間力":ioring注)は「近代型能力」("ガリ勉型":ioring注)と比べてもさらにいっそう、個々人の生来の資質か、あるいは成長する過程における日常的・持続的な環境要件によって決まる部分が大きいであろうということだ。その理由は、「ポスト近代型能力」は個々人の人格や感情、身体などと一体化したものであるからである。このことは、「ポスト近代型能力」の形成にとっては家庭環境という要素がおそらく重要化するということを意味している。(P24-5)

ガリ勉」とは、メリトクラシー下の「近代型能力」に特化したタイプの人間像である。ハイパー・メリトクラシー化が進み「ポスト近代型能力」が重視されはじめている現在では、こうした人間像は生き残りにくくなっているのだ。……「ガリ勉」が必死に獲得し、照明しようとしていた知的優秀さの意味は現在でも薄れたわけでは無い。がつがつした努力を通じてではなく軽々とスマートに獲得されたのであれば、知的優秀さは、現在でも、いや現在の方がいっそう、「社会の階段」をあがるために必要になっているかもしれないのであり、その意味では、「近代型能力」は脈々と求められ続けている。(P29-30)

 サークルとかで人間関係の能力とかが身に付くとかよく言われるけど(言ってもいるけど、そしてこれからも言われるんだろうけど)、それって元々ポテンシャル持ってる人が高度化して、無い奴が振り落とされた結果なのかもしれない、今思えば。まぁ責任もつ立場にいた俺が言ったら怒られることだとは思うけどさ。言っちゃいけないことなんかもしれんけどさ。
 書いてて暗くなるんで、この当たりで。この本についてはまた後日MEMOって行こう。